2013年10月02日
プロ野球選手、前田智徳
前田智徳選手、代打で登場、阪神タイガースに7-2で勝利♪
ありがとう~、感動して泣きながら声援、最高でした!! 初のクライマックスシリーズ進出を決めて盛り上がる広島東洋カープの応援に行ってきました。今シーズン限りでの引退を表明した天才と言われるプロ野球選手、私の大好きな前田智徳選手(広島東洋カープ 一筋24年)が代打で登場~!! プロ中のプロ、あの落合博満氏やイチローが、天才、と呼ぶ男。落合氏は監督時代、左打者に「真似していいのは前田だけだ。前田だけを見習え」と言い、1990年代に球界を代表する投手と呼ばれた槙原寛己(巨)や伊藤智仁(ヤ)に、弱点がなく何処に投げても打たれそうな気がする唯一のバッター、とまで言わしめた。
そんな前田智徳選手のエピソードですが、高校3年時の1989年夏、高校野球選手権熊本大会の決勝(藤崎台県営野球場)で東海大二高と対戦。0-1と熊工が1点リードして迎えた4回表の前田の打席で、東海大二側ベンチは勝負を避けても構わないと指示。投手・中尾篤孝がそれに従ってボールを2つ先行させた際、前田はバットを持ったままマウンドに歩み寄り「勝負せんかい! ストライク入れんかい!」と怒鳴った。これに中尾が「何やと!」とやり返したため、球審が間に割って入った。プレー再開後、中尾が勝負を挑んだ球をライトスタンドへ打ち込んだ。中尾(卒業後協和発酵硬式野球部入り)は後に「今となってはいい思い出です」と。
プロ野球入団後のある日の練習中、達川光男に「打席でどんな球を待っとるんや?」と訊かれ「いや、来た球を打つんですよ」と答え、達川は「凄いな、お前」と感心した。
北別府学投手の200勝のかかった試合の1992年9月13日の対巨人24回戦(東京ドーム)、1-0と広島リードで迎えた5回裏二死無走者、川相昌弘の中前への当たりに飛び込んだが後逸してランニング本塁打で同点とされる。前田は8 回表一死一塁の場面で決勝打となる勝ち越し2ランホームランを放ち、ガッツポーズを見せた後涙を流しながらダイヤモンドを一周した。決勝本塁打について「最悪でも、あれぐらいはやらなきゃ取り返しがつかないと思った」と振り返り、また本塁打後の涙について「自分に悔しくて涙が出た。ミスを取り返さなければいけなかった次の打席(6回表二死二塁)で中飛。それに腹が立って泣いたんです。最後に本塁打を打ったところでミスは消えない。あの日、自分は負けたんです」と語った。
アキレス腱断裂など怪我と戦ったプロ野球人生・・・それでも通算打率が3割2厘、そして2,000本安打を達成するなどその実力は超人的。そんなスゴ過ぎるプロ野球選手、前田智徳が満席のファンに姿をと、7回裏に代打登場してくれ球場は大興奮と大声援で揺れる程でした!! 結果は3 球三振・・・でしたがこの場面を目の前で見れて幸せでした。本物のプロフェッショナルが、また一人プロ野球界からいなくなった・・・寂しいですが、今まで感動をありがとう~♪
広島球場、MAZDA Zoom-Zoom スタジアム広島は広島駅から徒歩15分
MAZDA Zoom-Zoom スタジアム広島、広島ファンで満席でした!!
代打で登場した前田智徳選手、球場が声援で揺れるほどでした!!
前田智徳選手、背番号1、引退前、この勇姿を生で観戦、一生の宝物です♪
中国新聞社が試合終了後に無料配布している新聞。ミスターカープと言えば、山口県出身のプロ野球選手で、炎のストッパーとして活躍、病気の為に32歳という若さでこの世を去った津田恒実投手も記憶に残る名選手でしたね。ガンバレ、カープ、 宮生亨一(通称ザブ)は応援します♪
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